三体とエジソンズゲーム
三体。誰かのブログで興味を惹かれ読みはじめたが、いきなり没入。
中国人作家の本などこれまで手に取ることもなかったのに、三体を読むと今ある多くの日本の小説(特に今現在の小説)が凡庸に思えてくる。
スケールの違いとでも言おうか。
電験三種で物理アレルギーが薄れてきたせいもあるかも。
エジソンズゲーム(原題The Current War)は、電験三種やってなければ見過ごしていたかもしれない。
エジソンのイメージがガラリと変わったのと、ニコラテスラ、ウェスティングハウスとの対比も素晴らしい。
それにしても1880年代まで、まだ家庭に電気などなく、夜は富裕層のみが蝋燭を照らし、一般庶民は早々と寝ていたのだろう。
蓄音機、映写機などもエジソンがいなければ、もしかすると令和の今でもまだなかったのかもしれない。
電球が最初に点灯したときの気持ちをエジソンが語るシーンがあるが、うち震えるような感動を覚えた。
三体にも科学について語られるシーンがあるが、エジソンズゲームを見た同じ日に読んで、その捉え方が国や時代によってもこれほど違うものか、と戦慄した。
原子力など、使い方と制御により、多大な恩恵にも、脅威にもなり得る。
先人の偉大さと苦悩、苦闘。
科学について改めて考えさせられた。
そして、電験三種の学習が、これまで以上に面白くなってきた。